笠原工業の成形機はすべて自社開発のオリジナル製品です。
ものづくりに関わった100年で培われた、発想力やしくみが「匠」から「匠」へ受け継がれ、蓄積されたノウハウと融合し新しい製品が生み出されます。
そこには、挑戦と、ものづくりのおもしろさがあるからに他なりません。
商品の開発から設計には、笠原工業の受け継がれたものづくりの血液が流れているのです。
。
明治11年に、長野県諏訪郡平野村(現 岡谷市)に初代 笠原房吉が製糸業を創業。事業の拡張を図り、須賀川市で創業したのが大正6年。第一次世界大戦が始まった年でした。
生糸は、フォーマルからカジュアルまで様々な生地に用いられ海外での人気が高く、日本製の生糸が多く輸出されました。ここ笠原工業もフル稼働で生糸を生産するために、宿舎や食堂など従業員のための設備が、敷地内に設けられ町中が生糸で活気にあふれていた時代でした。
化学繊維の登場で製糸業も今までのような展望が得られなくなったので、新しい事業を模索し、ビートルズがレコードデビューした昭和37年に「発泡プラスチック」事業をスタートすることになりました。
高度成長時代とシンクロし、家電製品の緩衝材をはじめ様々なものに「発泡プラスチック」が使われ
製糸業で培った熱に関する技術や機械技術があったため、成形機を独自開発することでお客さまのご要望に、広く柔軟に応えることが可能となり、単にオーダー品を製造するだけにとどまらず、製品の設計から成形機の設計まで幅広いものづくりを行っています。製糸業は平成8年3月まで平行して続けられていました。
ものづくりの開発精神は、100年を超える笠原工業の理念となるもので先人達の技術力を受け継いでいるものです。
人々の生活に根ざしたものづくりが私たちの原点です。
笠原工業の成形機はすべて自社開発のオリジナル製品です。
ものづくりに関わった100年で培われた、発想力やしくみが「匠」から「匠」へ受け継がれ、蓄積されたノウハウと融合し新しい製品が生み出されます。
そこには、挑戦と、ものづくりのおもしろさがあるからに他なりません。
商品の開発から設計には、笠原工業の受け継がれたものづくりの血液が流れているのです。
。
安定した品質とスピードで、クライアントのご要望にお応えします。
品質管理は、マニュアル化され各行程毎にチェック管理されているので、常に一定で高品質の製品を製造しています。
生産計画は、各リソースの状況、人員の配置などを決め効率的に、安全管理の下進められています。
自社開発の成形機を使用しているので、万一のトラブルにも迅速に対応でき安心です。